北海道のセフレ掲示板でセフレゲットという大志を抱け
「少年よ、大志を抱け!」といわれて成長した少年たちは、やがて青年となり、勃起と射精、そしてオナニーを覚え、はじめてのセックスを経て女体がもたらす快楽に夢中になり、やがて、自分が抱かなければならなかった「大志」というものが、「女とのセックス」に他ならなかったということを知る。
「大志を抱く」ということは、「女体を抱く」ということとほとんど同義なのである。そんな「大志=セックス」を叶えてくれる場所が、北海道のセフレ掲示板である。
北海道のセフレ掲示板では、「セフレをゲットする」という大志に向かって邁進する男性たちが、北海道の女の子とセックス(ウコチャヌプコロ)をするために日々しのぎを削り合っている状況にある。
北海道の女の子の女性器(サマンペ)から放たれる芳しくも妖しい香りは、男性たちの「開拓精神」をいたずらに刺激することにもなるだろう。北海道のセフレ掲示板を使う男性たちは、みな潜在的に最上徳内の後継者なのだといっても過言ではない。
しかし、開拓精神とともに北海道のセフレ掲示板に乗り込む男性たちに襲いかかるのは「セフレゲット」にともなう数多くの苦難であり、セフレ掲示板という過酷な自然の脅威である。
しかし、その苦難や脅威を乗り越えて、ついに北海道の女の子との得難いセックスにたどりつき、かつ、セフレになるという約束が叶えられた瞬間、セフレ掲示板を使うすべての「性の開拓者たち」は、セフレ掲示板でセフレゲットを夢見た自分の無謀な冒険が決して間違いでなかった、ということを、北海道女性の膣内で快楽に打ち震えながらする悠久の連続射精を通して全身で実感することになるだろう。
今回、私も性の開拓者の一人として単身セフレ掲示板に乗り込み、すすきのと札幌の女の子のオマンコ(チョルポッケ)にご自慢の男根(チエヘ)をねじ込む即ハメ(即ウコチャヌプコロ)に成功し、私の開拓者精神の遺伝子が濃厚に組み込まれた精子を注ぎ込んできた次第である。
すすきののワクワクメールにはセフレ候補が集中している
すすきのという街とセフレ掲示板の間には、セックス中に結合された女性器と男性器同士の関係にも似た密接な関係があるように思われる。
いまさら過剰な説明を要するまでもないだろうが、すすきのという場所はそもそも「セックス」のために構想されて生み出された遊郭街である。
かつては大自然ばかりが支配していた北の大地に意図的に築かれた「性の人工都市」は、歴史と並行して表象を変化させつづける「性」のあり方を反映させながら、「セックスのための街」としての役割を現在まで脈々と受け継ぎ、北海道の「性文化」を根底から支えている。
そんなすすきのという街の「セックス」を象徴する最新の「性の風景」はなにかといえば、もちろん、セフレ掲示板であり、素人女性とのセックスである。
すすきのという、「出生の秘密」として「性」を持つ街以上にセフレ掲示板の登場を待ち望んでいた場所は他にはないであろうと思われるほどである。それは、北海道でセフレを探す私にとっても同様である。
広大な北海道の大地のなかでセフレを探したいのであれば、とにかく、すすきののセフレ掲示板を使うに越したことはない。この「セックスの街」のセフレ掲示板には、セフレ候補である北海道の女の子が極端に集中しているからだ。
すすきののセフレ掲示板を使っていて驚かされるのは、一度や二度、出会いの交渉に失敗したとしても、すぐに次のセフレ候補の書き込みが見つかるということだ。「絶対にセックスする」という気持ちさえあれば、すすきののセフレ掲示板でセフレをゲットするのは簡単である。
今回も、セフレ掲示板を利用しはじめてから出会いの交渉が成功するまでに、一時間もかからなかった。すすきのの女の子は話が早い。これだからすすきのでセフレ掲示板を使うのはやめられないのである。
ワクワクメールの女とハメたあと暗黙の了解でセフレ関係成立
待ち合わせ場所のススキノラフィラ前に佇んでいると、ひときわエロい服を身にまとった女性が登場したので驚かされることになったのだが、何を隠そうこの女性こそがセフレ掲示板で見つけたセフレ候補の女性なのであった。
その女性の服はというと、「ブラジャーのまま外に出てきてしまいました」としか形容ができないようなもので、実際の乳房の柔らかさに比べると、やや鋭角な印象さえあるとんがった乳房の形状は、その不自然さと違和感によって独特のエロスを放っており、「隠しつつも露わである」という性質もあいまって、逆説的に「裸」よりもいやらしいことになってしまっている。
かつて、「下着がアウターになりつつある」という「ファッションの表象」が社会学者によって騒がれた時代があったように記憶しているが、それから時代を経た現在であっても、「アウター化した下着」の衝撃力は決して衰えるということがない。
乳房の存在を異様に強調するかのようなその衣服は、セフレ候補の女性が「攻撃的なセックス」を好むタイプである、ということを主張しているような印象を私に与えもし、ホテル突入後に待つセックスへの期待もいよいよ高まっていった。
すすきののラブホテル「C-HOTEL affetto」に入り、彼女がアウター下着を脱ぐと、衣服によって強調されたのではない、彼女の生来の乳房がまろびでることになったのだが、いざ拘束から解き放たれてみると、強調されていたときの攻撃的なとがった表情とは真逆のまるみを帯びた乳房であることがわかり、むしろ、彼女の乳房に対する言葉としては「軟乳」というものがふさわしいように感じられた。
待ち合わせ場所にあらわれたときの攻撃的な乳房の印象はうすれ、明るみになった触り心地抜群の乳房がぐにゅぐにゅと揉まれ、ほぐされていく段階にまでいたると、彼女の女性としての本来の丸みはいよいよピークに達するようであったのだが、かといって、彼女のセックスが攻撃的でなかったというわけではない。
彼女は、こちらが何かを言うまえに、そのやわらかな乳房でもって私の陰茎を圧迫して嬉しい悲鳴をあげさせるパイズリをはじめもしたのだし、私の身体のうえにまたがって激しく腰をグラインドさせ、仰ぎ見る姿勢になった私に乳房の揺れを見せつけながら不敵な笑みを浮かべさえしたのだから、少しでも気を抜くと途端に防戦一方になってしまう。
私の両手は、いままさに性的な主導権を握ろうとしている彼女の両乳房を「グワシ!」と握りしめ、一気に体勢をひっくり返して正常位へと持ち込み、高速ピストンを開始する。攻撃的セックスならこっちだって負けてはいられないのだ。
激しく突かれることによってひとつきごとに上下する彼女の乳房の残像が、もしマイブリッジの連続写真によって撮影されたならば、そのうちのひとつの像に、衣服をきた状態で見たあのとんがった形状の乳房の姿を発見することもできたかもしれない。
三時間というわずかな休憩時間ではあったが、セックスに次ぐセックスで持ち時間たっぷり双方に快楽を与えあい、数回のエクスタシーをともに経験してフィニッシュ。
熱い吐息をはきながら横たわるベッドのうえで、セックスの相性の良さを実感していた私たちは無言のうちに「セフレ」の約束を交わしていたのだった。
札幌のミントCならセックスへの道のりが区画整理されている
札幌の市街地を上空からみると、碁盤目状に規則正しく区画整理された特徴的な都市構造が確認できるはずだ。
この整然とした都市構造を反映するように、札幌市内のセフレ掲示板におけるセックスへの道もまた整備されているということは言うまでもない。
札幌駅から出発して目的地まで到達する道のりが直線的で容易であるのと同様に、札幌市内のセフレ掲示板を使ってセックスにたどりつく道もまた容易である。
この整備されたセフレ掲示板を使って、札幌市内では数多くのセックスを経験してきたし、関係を結ぶことに成功したセフレの数も両手では数え切れず、20人を超えたあたりからは数えるのをやめてしまったので正確な数はわからないが、そろそろ三桁の大台にも突入するのではないか、と思われる。
ふとムラムラしてセフレ掲示板を開く。すると、セフレ掲示板を開いた瞬間、「セックス」という目的地に向かって光のナビゲーションが走り出し、その光の筋に導かれて光の痕跡を追いかけているだけで、気がつくと出会いが成立しており、北海道女性のオマンコにすっぽりとチンコがおさまっている、ということが往々にあるのが、札幌市内のセフレ掲示板の特徴である。
今回も、ほとんど自動運転状態で、あらゆる障害を巧妙に避けながらまっすぐにセックスにたどりついたのだし、そのセックスに向けた自動運転の速度は、というと、確実に100キロを超えていたはず。
もちろん、セックスが始まってからも、北海道女性のオマンコにピストン運動をするためのギアは5速に入れっぱなしのトップスピードであることは言うまでもない。
ミントCの「清純派ビッチ」の本性がウォーターゲート札幌で丸出しに
札幌駅で待ち合わせたセフレ候補の女の子は、一見すると人畜無害そうな清純派の女の子。短絡的に、セックスがあまり好きではないタイプだと判断されかねない女の子だが、その見た目に騙されてはいけないだろう。
セフレ掲示板を利用するような女の子であるのだから「とんでもないビッチである」ということはそもそも前提である、と判断したほうがいくらか身のためである。
こういった清純派の女の子は「どうすれば男の性欲をかきたてることができるのか」ということや、「いかにもヤリマンでございます」といった性的な見た目がある種の男性のペニスを萎縮させてしまうということを熟知したうえでみずからのファッションや態度を選択している傾向がある。
だから、セフレ掲示板にあらわれる清純派の女の子の一見すると「おとなしそうな外見」は、すべてが「セックス」のために整えられたものなのであり、清純派ビッチの彼女たちは、ペニスを捕食するために巧妙な罠をはる毒蜘蛛のような存在なのだ。
私は、というと「ヤリマンでございます」といった見た目の女性を見てもペニスが萎縮することはないが、当然ながら、こういった「清純派ビッチ」の女の子がしかけた巧妙なセックスの罠にみずから飛び込んでいくことに何よりもの快楽を覚える人間でもある。
そして、「罠」にかかったふりをしながら、毒蜘蛛としての清純派ビッチを逆に捕食できるかどうかについては、そのすべてが私のペニスにかかっているのである。
彼女たちが「セックス」のために整えた「清純派」という仮面に、「セックス」でもってしっかりと応えてあげたい、という気持ちがあるのも確かである。
「ウォーターゲート札幌」に向かうあいだ、こっちはとうの昔にビッチであることに気づいているのだが、女の子はまだ清純派の仮面をかぶっており、その姿には愛おしさを感じたほどである。
案の定、ホテルに入室してセックスがはじまってからの豹変ぶり、チンポに対する執着にはすさまじいものがあった。
おそらく、清純派としての仮面をかぶっていなかったならば、お風呂などに入って身を清める前にチンポをしゃぶる「即尺」を、入室と同時にしていたことは間違いない。
私としては清純派ビッチであることに気づいていなかったという姿勢を貫こうと思っていたので、「思ったよりエッチなんだね」などと驚いたフリをすることをちゃんと忘れなかった。そのような私の姿勢も、彼女にはお見通しだったかもしれないが。
なんにせよ、こんなにもチンポが求められるというのは男子として嬉しい限りである。私もマンコを求めているのだし、何よりも、チンポを求めてくれた彼女、社会的には「清純派」として振る舞い、その実、チンポのこと以外なにも考えていない彼女に対して、セックスでもって応えてあげることしかできない。
そんな私のセックスは、言葉よりも雄弁であったのだし、セックスが進行するにつれて、次第に「清純派」の仮面を装うことをやめた彼女は、やがてその喘ぎ声を野獣の咆哮にも似たものにしていき、最終的には、痴女としての本性丸出しの淫語の連発をともなったエクスタシーに到達することにもなった。
セフレになる約束は、彼女の方から話を持ちかけてきた。次回からは、最初から淫乱であることを知り尽くした相手同士としてセックスができそうなので、じつに楽しみである。